第11回 【後編】インクルーシブデザインで実現する、デジタルによる社会実装

Road to IX
〜 就労困難者ゼロの未来へ 〜
中村陽一氏
VALT JAPANはNEXT HEROを通じて、日本発のインクルーシブな雇用を実現する社会インフラ作りに挑戦しています。その理想実現のため、様々なセクターの皆様と就労困難者ゼロの未来実現に向けて議論を積み重ねていきたく、対談を連載しております。 今回は、社会デザインという概念を日本に根付かせた第一人者、中村陽一先生をお迎えし、「社会デザインとは何か」、そしてその視点から見た現代社会の課題や、IXとの交差点について、深くお話を伺いました。

ゲスト 中村陽一氏
一橋大学社会学部卒業。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授、同研究科委員長等を経て、現在、立教大学名誉教授、東京大学大学院情報学環特任教授、青森中央学院大学経営法学部特任教授、社会デザイン学会会長。著書に『21.5世紀の社会と空間のデザイン――変容するビルディングタイプ』(共編著)誠文堂新光社、『3・11後の建築と社会デザイン』(共著)平凡社、『日本のNPO/2000』(共編著)日本評論社など多数。
インタビュアー 小野 貴也
VALT JAPAN株式会社 代表取締役CEO
目次
企業がNPOと連携・共創する社会
小野
非営利セクターが取り組むテーマは、経済性だけでは解決できないものが多いですが、NPOだからこそ、できることもあります。一方で経済性が加わることで、より確実に大きなインパクトを持って実現できる可能性もあります。例えば、M&Aが一つの手段になり得るのではないかと考えています。ベンチャー企業や大企業がNPOをM&Aし、共創関係を築いて社会問題に取り組むやり方です。ただ、まだ一般的ではないですよね。この点についてはどう思われますか。
中村
確かにまだ主流とは言えませんが、興味深い事例はあります。私の教え子に「ソーシャルグッド会計事務所」という名前の事務所を経営されている税理士さんがいて、社会的な事業承継をテーマに活動しています。従来のM&Aや事業承継は、株価を上げたり、高く売却したりすることが中心でした。でも本来は、社会的な資産やリソースを次世代にどう引き継ぐかが大切ですよね。そこで、M&Aを単なる経済取引ではなく「社会承継」として捉える動きが始まっています。まさに経済性、事業性だけじゃなく、社会性や公共性を加味するということですね。
会社は「社会の公器」とも言われます。つまり、民間企業であっても私物ではなく、社会の一部です。もちろん、経営者の方々には「それは理想論だ」と言われることも多いですが、日本の企業社会も少しずつ変わりつつあります。社会承継のモデルケースができれば、「こういう形もあるんだ」と理解する企業も増えるのではないでしょうか。

小野
私の前職は製薬企業でした。製薬業界は、これまで未知の病気に対して医薬品という“物”を通じて解決してきました。しかし、希少疾患や難病など、医薬品だけでは解決できない課題が多く存在します。そこで現在、製薬企業は薬以外の手段による解決策にも力を入れ始めています。新たな企業体へと進化する流れの中で、すでにその分野で活動しているNPOや非営利セクターとのコラボレーション、さらには友好的M&Aを進めることです。それによって、市場全体がより良くなると感じています。
中村
おっしゃる通りですね。これまでの大手企業の社会課題への関わり方は、自社で全てを解決しようとするか、儲かったらCSR活動として社会貢献するというスタイルが多かったと思います。しかし、自社のリソースだけでは対応しきれない問題が増え、外部との連携がより重要になってきました。特に、優れたNGOやNPO、専門的なソーシャルビジネスが台頭してきており、企業がそれらと協力することでより効果的な社会貢献が可能になります。企業とNPOがパートナーとしてM&Aを含む新しい形の連携を進めることは、これからの時代においてますます重要になっていくのではないでしょうか。
ESG投資と企業の姿勢
小野
経済セクターの企業が社会デザインに積極的に関与し、人や資金を投じることは、社会にとって大きな意義があります。ESG(環境・社会・ガバナンス)という概念が登場して20年が経ち、今では投資市場において企業評価の重要な指標となっています。社会デザインとESGは非常に相性が良いと感じますが、中村先生はESGの現状をどう見られていますか?
中村
ESG投資は、ソーシャルセクターとは相性が良いものです。しかし、現在アメリカではESG投資に対するバックラッシュ(逆風)が強まっています。特に影響力のある機関投資家の中には、「ESGを掲げる企業には投資しない」と明言する動きもあり、アメリカの企業も慎重になっていますね。この影響は日本にも及ぶ可能性があるため、短期的には懸念が残りますが、長期的にはESGの流れが完全に止まることはないでしょう。
小野
私もVALT JAPANやNEXT HEROを通じて、グローバルに展開しながらパブリックカンパニーを目指しています。ESGの視点では、企業の収益性や株主還元よりも社会還元の比重が大きくなりがちです。このバランスについてはどう考えますか?

中村
おっしゃるとおりで、ESGが重視されるあまり、企業の利益や投資家への還元が二の次になってしまうケースもあります。そのため、企業がESGを推進する際には、表現の仕方や説明の仕方が重要です。「環境や社会への貢献は不可欠だ」という押しつけ的な説明ではなく、「これからの事業性を担保するためにESGが必要なんだ」と伝える方が、ステークホルダーの理解を得やすいと思います。
また、ESGやSDGsを推進する側の姿勢にも課題があります。意識の高い人が「これは大事なんだからやるべき」と上から目線で言ってしまうと、一般の人との溝が生まれます。特に「意識高い系」という言葉が、ややネガティブに使われるようになったのもその一例でしょう。企業や社会全体に受け入れられるためには、より洗練された伝え方を工夫していく必要がありますね。
小野
Road to IXの「IX」を、「インクルーシブトランスフォーメーション」と呼んでいます。「DX」のデジタルトランスフォーメーションはすっかり浸透しましたが、私が実行してきたのはIXです。インクルーシブというのも様々な定義があって、場面によっていろんな使い分けがあります。例えば「混ぜこぜ」。人種もそうだし、性別もそうだし、世代もそうだし、障害の有無もそうだし、それらが全て混ぜこぜになっている環境や状態をインクルーシブと呼ぶ定義もあれば「対話」もある。同じ環境じゃなくても対話ができていて、新しいアイディアが生まれている、新しい物事が進んでいるなど、事業でも商品でもいいのですが、ハードとソフトの両面があると思っています。つまり、「ハードのインクルーシブの時代は終わったな」と感じているんですよね。障害者雇用の領域で言うと、本社の中に特例子会社を作って、障害のある方が7割8割ぐらいそこに集まり、本社のバックオフィス的な業務をやっていくのが従来の流れだったんですね。わざわざ会社を分けて、わざわざハードの環境を分けて、「こっちに障害者」「こっちは健常者」という形に見えてしまっていた。それが問題になったりしているんですが、私自身は「じゃあ本社にみんな集まって、同じ屋根の下で一緒に仕事をすることが、それがインクルーシブのゴールなのか」と考えています。中村先生はこの「ハード×インクルーシブ」はどう思われますか? 果たしてハードで完結できるものなのか、というテーマです。
中村
今DEI(ダイバーシティ、エクイティ、インクルージョン)に対してもかなりバックラッシュが起きているじゃないですか。せっかくDEIを大事にしようという流れができてきた。しかし、典型的なアメリカの大学におけるポジティブアクション、アファーマティブアクションとも言いますけど、これが違憲であると最高裁で出てしまいました。これからはアメリカの大学が、いろんな意味で厳しくなると思います。
何もなかった、意識されなかった時代に、ダイバーシティやインクルージョン、エクイティを強調してきた流れは大事だったと思うんです。ただ、どの時代にもそれを強調することによって、これまでの考え方で安心してやってきた人、恩恵を受けてきた人たちにとっては、それは脅威になる。これはインクルーシブな社会を作るときに、必ずハードルとして出てくることだと思います。そのときにハードのインクルージョンだけを追求すると、そこに対する軋轢や馴染めない人は多く出てくると思うんですね。そこで、ソフトということになるんでしょうけれども。
最近読んだ本で興味深かったのは、『WOKE CAPITALISM 〜“意識高い系”資本主義が民主主義を滅ぼす』(東洋経済新報社)という翻訳書です。アメリカの名だたる多国籍企業が社会正義に関わる問題に積極的に介入し始めていて、当然それは、企業価値を高めることにつながると思ってやるわけですけど、保守的な考え方を持つ人たちはそれに対して反発し、保守党派に投票するんですよね。社会性を重視することで、企業評価や企業価値は上がるけれども、それに対して、保守派が伸びて減税策を取れば、その点では企業にもメリットがある。
そういう「(企業が)どっちに転んでもオッケーという状態」は非常にまずいのではないか、というのがこの本の議論なんですよね。要するに社会性、公共性を企業が占有するという問題があるのではないか、と。いくら企業に良いところがあると言っても、それは非常にリスキーです。インクルージョンと言われているものは実はサブサンプションでもあり、意味は似ていますが、「支配的に包み込む」=サブサンプション。インクルージョン=「包み込む」ということで、違いがあるとも書かれていました。これからのインクルージョンは、「何か力の強いものが、そうじゃないものを包み込んであげるのではない、やり方である」というわけです。

小野
なるほど。
DSX(デジタル・ソーシャル・トランスフォーメーション)の実現
中村
今DEI(ダイバーシティ、エクイティ、インクルージョン)に対してもかなりバックラッシュが起きているじゃないですか。せっかくDEIを大事にしようという流れができてきた。しかし、典型的なアメリカの大学におけるポジティブアクション、アファーマティブアクションとも言いますけど、これが違憲であると最高裁で出てしまいました。これからはアメリカの大学が、いろんな意味で厳しくなると思います。
何もなかった、意識されなかった時代に、ダイバーシティやインクルージョン、エクイティを強調してきた流れは大事だったと思うんです。ただ、どの時代にもそれを強調することによって、これまでの考え方で安心してやってきた人、恩恵を受けてきた人たちにとっては、それは脅威になる。これはインクルーシブな社会を作るときに、必ずハードルとして出てくることだと思います。そのときにハードのインクルージョンだけを追求すると、そこに対する軋轢や馴染めない人は多く出てくると思うんですね。そこで、ソフトということになるんでしょうけれども。
最近読んだ本で興味深かったのは、『WOKE CAPITALISM 〜“意識高い系”資本主義が民主主義を滅ぼす』(東洋経済新報社)という翻訳書です。アメリカの名だたる多国籍企業が社会正義に関わる問題に積極的に介入し始めていて、当然それは、企業価値を高めることにつながると思ってやるわけですけど、保守的な考え方を持つ人たちはそれに対して反発し、保守党派に投票するんですよね。社会性を重視することで、企業評価や企業価値は上がるけれども、それに対して、保守派が伸びて減税策を取れば、その点では企業にもメリットがある。
そういう「(企業が)どっちに転んでもオッケーという状態」は非常にまずいのではないか、というのがこの本の議論なんですよね。要するに社会性、公共性を企業が占有するという問題があるのではないか、と。いくら企業に良いところがあると言っても、それは非常にリスキーです。インクルージョンと言われているものは実はサブサンプションでもあり、意味は似ていますが、「支配的に包み込む」=サブサンプション。インクルージョン=「包み込む」ということで、違いがあるとも書かれていました。これからのインクルージョンは、「何か力の強いものが、そうじゃないものを包み込んであげるのではない、やり方である」というわけです。
小野
そうですよね。インクルーシブの定義は、デジタルを中心に考えていくべきです。まさに中村先生のように、社会デザインという新しく言葉を作り、言葉だけではなく、定義や構造、理論が生まれることによって、我々のようなプレイヤーの心に火がついて、新しい人生やキャリアの目標が生まれると感じます。
中村
小野さんたちのような事業は、これから新しいことを始めようとする人にとっては、たくさんのヒントを与えてくれるものだと思います。ぜひまた、いろいろなお話させていただく場を持ちたいと思います。
小野
ありがとうございます。本日は中村陽一先生にお越しいただきました。
当対談は音声でもお楽しみいただけます。下記のSpotifyよりご視聴ください。